「内側から見た「れいわ新選組」」という記事で述べたように、れいわ新選組はいわゆる「政党」になるべきではない、と考える。なぜなら、そうすると、無縁のパワーを失ってしまうからだ。つまり、党員を集めて組織化する、という方向を目指すべきではない。
れいわ新選組はこの4ヶ月、山本太郎氏個人の集票力を他人に均霑する、という戦略で走り抜け、二議席と4.5%の得票率を獲得し、政党要件を満たした。もちろん、9人の候補者の選別も山本太郎独自の感覚によるものであって、その9人の個性が多くの人を惹き付ける力にはなったであろうが、山本太郎氏個人の集票力を補完するものでしかなかったことは、明らかである。
とはいえ、次の衆議院議員選挙を見据えた場合、山本太郎氏一人の集票力に頼り続けるなら、大きな限界が来ることもまた、明らかである。たとえば、山本太郎氏が、かつて出馬した東京8区と東京ブロックに出たと仮定しよう。小選挙区の相手は石原伸晃氏であるが、もし、野党共闘が成立したとしても、強敵である。今の勢いを維持するなら、勝つことも可能であるが、その場合でも、せいぜい10~13万票を取るだけであって、その票が比例東京ブロックで、れいわ新選組に確実に流れるわけでもない。現時点では、今回の落選した7人が東京ブロックのどこかに立ったとしても、山本太郎氏以外に小選挙区で勝てるとは考えにくい。選挙区というのは、そこを地盤として人間関係を養っていくことが大切であって、特段の支持基盤もなく、落下傘で降りて勝つことは非常に困難だからである。
しかも、野党共闘という問題がある。むやみに候補者を立てて野党が競合したのでは、決して自公には勝てない。となると、他の野党が「ここは譲ってもいい」と考えるところにしか立てられない。そうやって小選挙区を絞り込むと、比例区での集票が難しくなる、というジレンマが待ち受けている。
山本太郎氏が東京8区の死闘を展開するとともに、東京の7選挙区をも応援して回るという獅子奮迅の活躍をしたとしても、果たしてどれほどの比例票が取れるのであろうか。もし、東京ブロックで共産党と同じ60万票を取ったとしても2議席であり、8区で勝っても3議席である。
東京ブロック以外の10ブロックに、小選挙区と比例の重複候補を多数立てて議席を狙いに行く、という方策もありうるが、とてつもない資金と選挙事務が発生する上に、そうすると山本太郎氏が全国を駆け回ることになり、東京ブロックの集票力は落ちる。更に、小選挙区にたくさんの候補を立てると、他の野党に嫌がられる。嫌がられないようにするには、自民党が強くて勝ち目のないところに立てることになるが、それで比例区への集票を期待するのは難しい。どれだけお金が集まるか、が焦点となる。
東京ブロックで3議席とって、今回の2議席と合わせて、国会議員5人という政党要件を達成するのが、普通に考えれば現実的な目標というものであろう。これでも大戦果である。たとえ大変な無理をして、ほかの10ブロックに候補者を擁立して、各1議席とっても、10議席である。「政権交代」という大目標からすると、随分と遠い。政権交代という目標を真剣に考えるのであれば、まずは野党共闘を論じなければならないが、おそらく、選挙が近づかないと真剣な話し合いにはならないだろう。選挙前になってバタバタと候補者を立てても、小選挙区はそう簡単に勝てるものではない。
これ以外にも、どこかの党の落ちそうな議員を拾い上げて、公認候補とし、山本太郎氏が応援演説をすれば勝てる、という算段もありうるが、それをすると、「無縁者」のラインナップが崩れてしまう、という大きなデメリットがある。他の野党との違いが見えなくなり、「選挙に来なかった人の票を取りに行く」という基本戦略から外れてしまう。そういう落ち穂拾いはしないほうが良いように思う。
また、有名人を立てる選挙も、同じデメリットがある。今回の立憲民主党の有名タレント擁立が、支持者を失望させたことは確実で、それがれいわ新選組に流れた可能性は高い。それに、たとえ有名人でも、組織なしに小選挙区を勝つのは、難しいであろう。ただし、有名人を擁立するとしても、「無縁者」の色彩があれば成り立つ。何らかの犯罪を犯して世間から追い出され、更生して正しく生きようとしておられる方や、お騒がせキャラ、といった、普通の政党ではありえないような属性の方である。
現役政治家を取り込むよりは、「当事者で無縁者」というラインを維持して、新人候補を出していく方が、効果的であろう。また、今回は年齢が50~60台の候補者ばかりであったので、もっと若い世代の候補者を見つけていかなければならない。そして彼らが政治活動を通じて、成長する、という過程を実現せねばならない。そして次の選挙では、候補者の女性比率を50%にする必要があると考える。
考えてみれば、山本太郎氏の魅力は「学ぶ姿勢」にある。いや、それ以上に、「自分は何も知らない」という自覚こそが、その魅力の本質なのではないだろうか。自分の知らないことを、知らない人に聴いて学ぶという6年間の修行が、今回の数千人を魅了する演説を生み出したのであり、この「学びによる政治」こそが、れいわ新選組の本質であるべきだと考える。
それゆえ、「何も知らない」という自覚のある若い当事者を発掘し、その成長の姿を人々に見せる、ということが大切だと考える。今回でも、選挙をやったことのある舩後・大西・安冨以外は、完全な選挙の素人であって、その素人が、わずか17日間とはいえ、急激に政治家として成長していった姿が、人々を惹き付ける力を持ったのではないだろうか。この「成長の物語」の中から、山本太郎氏に匹敵し、あるいは凌駕する若い政治家を多数誕生させるなら、多少の時間は掛かるとしても、政権交代を実現することが視野に入ってくる。
私は、選挙の始まる前に、山本太郎氏に、「れいわ新選組が、若い政治家を守り育てていく機関になってほしい、そのために政党要件を満たすことが必要であり、私は、その捨て石となりたい。そして若い政治家に、私の知識を伝え、ともに学ぶ仕事をしたい」という趣旨のことを申し上げた。そのように、選挙と政治とを成長の場として開く、ということが、「れいわ新選組」を発展させる、提要なのではないか、と考える。
現在の情勢では、秋に解散して年末の総選挙か、あるいはオリンピック後、ということになる。野党に選挙準備をさせない、というつもりであれば前者になる。こんな短期間で、いったい、どういう準備が可能なのか私にもまったく見えない。ここで新しい段階の奇跡を起こすには、焦らないで一息入れて、僥倖を待つ必要があると思う。
こんな選挙ならやってみたい!という、無謀な無縁者が続出するように切望している。
※尚、この記事もまた、完全に私の個人的な見解であり、「れいわ新選組」を代表するものではない。