羽田空港の検疫について

私は6月1日の午後にアメリカから羽田空港に到着し、そこで、新型コロナ対策のためのPCR検査を受けた。そのあまりに儀式的な検疫体制に驚いたので、報告する。これから帰国する人の役に立つように、という意味と、この禊みたいなやりかたで良いのか、という問題提起の意味がある、と考えている。

検疫は以下のように行われている。

1) 飛行機に乗る段階で、4枚の紙を渡される。そこには、名前や住所や連絡先を書く。
2) 飛行機が到着すると、検疫官の指示が出るまで、飛行機内で待機する。
3) 指示が出たら飛行機から出て、特設の検疫所に向かう。検疫所は、空港の搭乗口の一つが使われていた。
4) そこでまず、案内を受けるのだが、座席は自由席である。とはいえ、乗客の側が、自発的にお互いに離れるようにはしていた。
5) 案内の内容は、検査を受けて、自宅から迎えが来るか、レンタカーを調達できる人は帰っていいけど、それ以外の人は、結果が出るまで待って、そのあと、公共交通機関を使わずに帰るか、近くのホテルで二週間待機しろ、検査結果が出るまで24時間ほど掛かる見込み、ということであるが、

「レンタカはーは今、取りにくくなっています」

と言われて、衝撃を受ける。で、あわてて24時間後のレンタカーをネットで探したら、余裕で見つかったので、拍子抜けした。一体、どういう情報だったのだろうか。
6) 次に、飛行機に乗る前に貰った紙を持って順番に並ぶのだが、そのときに「距離をとって」とかの指示は受けなかった。
7) 検疫担当者は、マスクをしているだけで、何の仕切りもない普通の簡易長テーブルに座っていて、至近距離で聞き取りを行い。4枚のうち2枚を返却した。(このとき返してもらった書類の1枚が、間違っていたことが後で判明する。)
8) 紙を受け取ったら、検査ブースに行くが、これは廊下に簡単な事務用パーティションで区切られた4つくらいのスペースに、医者らしき人が居て、鼻に綿棒を突っ込んで検体採取をする。医者はさすがにガウンを来てフェイスシールドをしていたが、これも完全武装ではなく、比較的簡易なものだったし、検査のたびにいちいち手袋やガウンを変えているわけではなかった。
9) 検査が終わると長い廊下を歩いて、別の搭乗口に移動し、そこで待機しろ、と言われる。ここも自由席であった。
10) そこに係官がいたが、さきほどと同じ単にマスクをしているだけで、乗客と至近距離で会話していた。待合室の様子は次の写真の通り。

11) 「ここでずっと待つんですか?」と聴いたら「はい」と言われて、「え、ホテルじゃなかったのか?ここで24時間?!」と思い込んで衝撃を受け、これはレンタカーを借りて直ちに帰るべきかと思い、さきほど予約したレンタカー会社に電話したら、

「陰性結果が出た方に限らせていただいております」

とのことで、天を仰ぐ。だったら、レンタカーですぐに帰るという選択肢は、最初から存在しないではないか!なぜそんな案内をするのであろうか。ただ、幸いにも、レンタカー会社は、検査結果が出るまでは、予約を変更するという対応をしてくれていたので、助かった。

教訓:帰国時にレンタカー移動を考えている人は、事前に空港のレンタカー会社に直接電話して、色々相談しておいたほうが良い。

12) で、観念してここで徹夜しようかと思ったら、一時間ほどしたら、「これから更に乗客が来て、混雑が予想されますので、ホテルに移動していていただきます」と言われる。え?ホテル移動なら、さっさと言えよ、てか、だったら、待合室なんかで、グレーの被験者を自由席で混ぜるとか、やる必要ないよな、と驚く。ひょっとすると、朝の便で帰った人は、ずっと待っていたのであろうか。

13) ホテルに行きたい人は申告せよ、とアナウンスがあって、ぞろぞろっと係員のところにみんな集まって、名前を申告する。あとから、番号を付して呼び出しがあり、番号順に並んで、残る2枚の書類のうち1枚を渡して、検疫のハンコを印刷した小さなピンク色紙切れを受け取る。(なぜか白く写っているが)

14) ここで、荷物が多い人はなるべく宅配便で送るように言われた。そういう人が何組かいて、先に集められて係官の先導で入国手続をして、荷物を受け取り、税関を通過した。不思議だったのはこのときに係官が「別送品のある方はありますか?」と言っていたことだった。「別送品」というのは、飛行機に乗せずに郵便などで国際輸送する荷物のことであって、ここで彼らが言おうとしていたのは、預け荷物を宅急便で送る人はいますか、ということだった点だ。なぜ、空港の検疫官が、航空用語を知らないのであろうか。(そもそも全般に、ものすごくバタバタして、混乱していて、空港のことを知らず、まったく手慣れた感じがないのが、不思議であった。あとから知ったのだが、5月31日までは、自衛隊がやっていたらしく、彼らは初日だったようなのだ。)また、膨大な数のダンボールを宅配便で送ろうとした人が、羽田周辺で二週間滞在してから帰ることにしているらしく、荷物を受け取る人がいないので、送れない、という事態になって、結局、バスで大量の荷物をホテルまで輸送してもらっていた。これだけの荷物をバスで輸送できるなら、なぜ宅配便で送ることをあんなに推奨したのか、謎である。

15) おどろいたことに、税関の係員はしっかり防護していたことだった。完全防護ではないが、ビニールで仕切ったところにいて、ガウンもフェイスシールドもして、手袋もしていた。検疫の係官が、あんなに至近距離でマスクしただけで紙を頻繁にやりとりしているのに、税関だけががこうやって安全を確保しているのは、一体何なのだろうか。

16) 税関を通ると、ロビーに出て、各自、自由に荷物を送るための手配をする。検査結果の出ていない者が、こんなにウロウロしていいことに、驚く。そして、宅急便のカウンターも、ビニールで仕切っていたので、検疫だけが完全無防備であることに、更に疑念を覚える。

17) 出口近くに集合して、係官の誘導でバスに乗りに行く。そこにも係官が複数いて、バスに乗るが、ビニールで覆われた座席で、感染予防のために2人掛けの座席に一人だけ座って行くことになっていた。今まではあんなにゆるゆるの自由行動だったのに、家族もバラバラに座ることになっている。そのバスで30分くらい移動して、ホテルに向かう。

18) ホテルに付いたら、なぜか入り口から館内は撮影しないでくれ、とのこと。で、ホテルの入口の人は、係官と税関の中くらいの防護具合だったが、Tシャツとジーパンの若者二人がマスクすらせずに立入禁止の表示の向こうに立っていた。ホテルは同じグループの人は比較的大きな部屋に、一緒に入ることができることになっていたが、相部屋を強制されるわけではなく、一人部屋を希望すると一人で入る。

19) ホテルの食事の配布などは、乗客と担当者とが、決して接触しないように、厳格に行われていた。部屋に入るとようやく、待機の全体像がわかる書類がおいてあった。この時点でようやく、二日後の朝10時にバスで退去するのがルーティーンであることがわかり、レンタカー屋さんに電話して変更してもらう。なぜ、最初からこれを配布しないのだろう?!と思ったので、一番下に添付しておく。

20) 検査の結果は、最初の案内の通り、24時間後くらいに出た。予定位通り、三日目の朝のバスで空港に戻ることになった。書類によれば、自宅から迎えの来る人は、13時〜15時の間に来ることが推奨されている。

 

★全体の印象は、これは防疫ではなく、禊だ、ということだ。特に、税関や宅急便の人よりも、検疫官が防護されていないことに疑問を感じる。単に防護されていないだけではなく、係官は、乗客と接触することに警戒心を全く抱いておらず、不便を掛けないように、質問にはなるべく親切に答えるというホスピタリティを発揮していたのはありがたいが、その際に話がしやすいように至近距離に近づいてくるのが怖かった。係官同士も肘が当たるほどくっついて仕事をしていた。また情報提供は、どこに行って何が起きるのか、という全体像を全く提供せず、個別の問題には熱心に対応する、という間違った方向性を帯びている。

★あとから知ったのだが、手際がものすごく悪かったのは、5月末まで、自衛隊がこの業務をやっていたためだと思われる。自衛隊からちゃんと引き継ぎをできなかったのかもしれないが、自衛隊もマスクだけで紙のやり取りをしていたのだろうか?もし、自衛官がちゃんとできていて、検疫官がちゃんとできていない、ということになったら、「しっかりしている組織は軍部だけ」という戦前の日本や開発独裁国家みたいな状態になることを意味する。

★検査して陰性なら、偽陰性の可能があるとしても、これだけゆるゆるでやっているなら、公共交通機関を使って帰ることを認めても、結果はほとんど変わらないだろう。それを認めないで、自己隔離をさせるなら、こんなゆるい体制で検査をする必要があるのだろうか。

★検疫官の様子は、文化祭の模擬店イベントの案内係に似ていた。ひょっとして、「派遣やアルバイトの方に、無防備な状態で、知識も提供せず、危険な業務をやらせているのではないか」という疑念が浮かんだので、そのあたり、ぜひ国会議員の方に調査してほしい。