東松山でなにをめざすのか〜地方自治の基本理念〜

こどものいのち

学校はこどもを守る基地であるべきです。

おなかを空かせている、親に殴られている、誰かにいじめられている、そういうこどもがいるというのに、平然と授業する、というのは恐ろしいことだと思います。こどもが恐ろしい目にあえば、学校に逃げ込めば助かる、という場所になってはじめて、学ぶ、ということも可能になります。

教育とは、こどもの自発的成長を支える活動です。

人間は、好奇心という強い力に駆動されています。不思議に思ったことを知りたい、という気持ちほど、人間の人間らしさを示すものはありません。この力をのびのびと発揮させることによってのみ、人間の知性は発展します。大人が用意したことをこどもに「教える」という押し付けは、教育とは言えません。これによって実現することは、こどもが学ぶことを嫌うようにることと、自分はダメなやつだ、という自己嫌悪に苦しむようになること、だけです。

交通は、こどもを守り抜いてこそ意味があります。

交通というのは極限すれば「なにかをどこかへ運ぶ」ということです。では、いったい何のためにわたしたちはなにかを運ぶのでしょうか。食べ物を運ぶのは、生きるため。原材料を運ぶのは生産のためですが、それはくらしを支えるため。人を運ぶのは、人と出会うため。しかしそのために、こどもを殺したり傷つけたりしたら、元も子もありません。

虐待されるこどもが一人でもいれば、それは社会の敗北です。

こどもの虐待というおそろしい現象の背景は複雑ですが、一般的にいって暴力には連鎖する、という特徴があります。何らかの暴力を他人から受けて我慢している人は、その暴力を自分より弱い人に転嫁しようとするものです。こうして転嫁された暴力は、やがてもっとも弱い人、つまりこどもへと集中します。私は虐待をこのようなものとして理解しています。ですから、こどもが一人でも虐待されているなら、それは社会に暴力の連鎖が発生している、ということを意味します。

傷ついたこどもを癒やす自然に満ちた空間を作る必要があります。

社会から暴力を払拭することが容易ではない以上、こどもの心や体が傷つけられることは、不可避です。たとえば私自身は一見したところ何不自由なく育ち、良い高校を出て良い大学にはいり良い大学で働いている「エリート」ですが、内面的には深刻な苦悩を抱えています。中高生のころは、自殺と無差別殺人の衝動に耐えながらかろうじて生き延びているという気分でした。ですから、こどもたちの傷を癒やすための空間をつくらなければ、暴力の連鎖を止めることはできません。わたしはそのために、馬をはじめとする動物とのつながりをつくるのが、効果的かつ効率的だと考えています。

なつかしい未来

経済発展と引き換えに失われた武蔵野の再生を。

森林公園に残る武蔵野のおもかげを見ると、もしこの森林を全面的に破壊せず、あちこちに残しながら開発していれば、どんなにすばらしかっただろう、とため息が出ます。しかし今からでもおそくないのです。そもそも日本列島に残る森林の大半は、二次林、つまりもともとの森林を人間が切り開いたあとに、再生した森林なのです。荒れ地であった武蔵野に森林が形成されたのは、江戸という大都市の発達の結果だという学説があります。現代の科学技術を駆使し、人間の活動が森林の拡大を引き起こすように、くらし方を変えることができれば、武蔵野を再生することも十分に可能です。

まちのどこでもホタルが見られる、なつかしい景色を取り戻し、子どもたちの楽しい遊びをつくりましょう。

東松山では幸いなことに、市民の努力により、多数の地点でホタルが復活しています。この知識や経験を活かして公共事業を行い、大小の河川を、ホタルが生息できるように改造していけば、ホタルが生息地を伝って行き来できるようになります。こうして、点から線、線から面へと、ホタルの生息域を拡張し、まちなかでもホタルが飛び交うまちを目指します。

古民家や空き家を市が借り上げて補修し、芸術家を招き、すてきなホテルやレストランにします。

東松山には多数の古民家・空き家があります。多くの家主さんは、その修復や活用に困り、つぎつぎに取り壊されています。しかし、古い家こそは、貴重な財産です。ヨーロッパでは、「家を壊す」というのは異常なことだと認識されていて、どんな古い家でも修復して使っています。というのも、古ければ古いほど、財産価値が上がるからです。家主さんが持て余している古い家は、市が借り上げて補修し、東京で生活を維持する上での困難に直面している芸術家を招き、住んでもらい、アトリエや展示場として改造していきます。立派な家は、みなで知恵を出し合って改修プランをつくり、インターネットで出資者を募り、ホテルやレストランとして活用します。

くらしづくり

歴史・文化・芸術を活かし、地域の価値を創りましょう。

東松山には「原爆の図」という世界に誇る名作が所蔵されています。この作品を中心として市内に存在するさまざまの文化芸術品工芸品を集め、芸術センターをつくりましょう。そして、空き家を使って招いた芸術家たちに活躍してもらいます。また、市民の作品を積極的に買い上げて、市民が芸術活動を続けるための経費を供給し、巨大な市民芸術の集積点をつくります。もちろん、こどもたちの作品も、積極的に収集します。そのなかからやがて、「原爆の図」に匹敵するような、真に人々を感動させる作品が生まれてくるものと確信します。

まちの中心部は、自動車を制限して、人々の集う「みち」をつくり、定期市を開いてにぎやかな空間に。

現在、東松山の市役所周辺の中心部は急激に衰えています。膨大な数の空き家があり、人々の交流は希薄化し、シャッター街が形成され、死に絶えつつあります。これは、道路を整備して大型ショッピングセンターやニュータウンを作ったことの直接の帰結です。この中心部が滅べば、東松山の独自の文化も滅びます。この悪循環から離脱するために、旧市街の自動車交通の大幅な制限を行います。住民以外の自動車の進入を大幅に抑制し、旧市街全体に、こどもを中心とした交通体系を作り出します。小さな路地を整備し、信号を取り外して循環交差点(ラウンドアバウト)に置き換えます。電線を地下に埋めて電柱を抜き、人が通りやすいようにします。安全になったみちは、人を分断するのではなく、交流の場となります。そこで定期市を開き、にぎやかな空間を作り出し、まちを再生させます。

お年寄りの平安な暮らしを支え、「医者いらず」の医療を。

お年寄りの暮らしを支えるものは、お金ではありません。若者です。若者の活躍が、老人の暮らしをささえる基礎です。そのためにこそ、こどもを守る必要があります。古来、こどもを見守るのは、老人の仕事でした。老人がこどもを守り、こどもが老人を癒やしてこそ、安らかな老後が実現します。このような関係性を消滅させた上で、お金を老人に流し込んでも、極限すれば、「オレオレ詐欺」の餌食になるだけです。もちろん、今の状況から、一足飛びに、事態を改善することはできませんが、その方向に進まない限り、解決はない、と確信します。もちろん、「「医者いらず」の医療」は、医師を排除するものではありません。医師が、老人の健康な生活をささえ、病気にならないようにするような体制への移行を意味します。それは、医師だけでできることではなく、地域社会のあり方の変化が不可欠ですが、医師がその中心を担う必要があります。

誰もが、小商売や芸能で生きる道をひらきます。

誰もが、良い学校を出て、良い会社に入ろうとする、ということが、現在の地域社会の衰亡の根本原因です。教育機関は、実際のところ、地域社会から人間を吸い上げて大都市に単なる労働力として流し込む役割を果たしているのです。この回路を放置して、地域社会の再生はありえません。そのために、こどもをも守る、という政策が不可欠であり、それこそが郷土愛を育みます。そのうえで、若者が地域社会で活躍できる道をひらくことが必要です。このために、外部から企業を誘致して若者を労働力にしてしまうのでは、本末転倒です。若者が、地元で人間関係を広げながら、そこで起業し、活躍してくれなければ、地域社会の再生はありえません。そのための知識・機会・資金を提供し、支える必要があります。

まちに開かれた市役所

日々の市役所の活動に、議員さんの知恵を活かせるような抜本的改革を。

市役所は市長が統制し、議会がそれを制御する、という二元代表制が地方自治体の基本構造です。しかし、実際には議会が市長派で占められている場合にはチェック機能は作動しないので、議会の存在は市民からすれば、無駄になります。逆に、議会が反市長派で占められている場合には、市長と市役所とが議会の納得を得るために莫大な努力を払う、というこれまた市民からすれば無駄なエネルギーが生じています。現在の予算・決算にもとづく市役所と市議会との関係は、役所の規模が今よりも百分の一くらいだった時代にできたもので、実情にあわなくなっています。少なくとも、このような体制で会社を経営すれば、すぐに潰れてしまうことは確実だと思うのです。そのため私は、「市長=社長」「議会=取締役会・監査会」というような発想で捉え、それぞれが独立に選ばれていることで、民主性を担保する、というように、二元代表制を再解釈してはどうか、と考えています。そうすれば、市議会議員が地域社会から汲み取った知識が、市長を中心とする執行部に常時反映され、また執行部の動きは、常時市議会によってチェックされるという、よりダイナミックな運営体制ができあがるのではないでしょうか。そうすれば、市役所職員が忙殺される「議会対策」は存在しなくなり、市民の側からすれば、市長も議会も市役所も、無駄なエネルギーを使うことなく仕事する、ということになると考えるのです。もちろん、この考えは、地方自治に関する法律の発想と根本的に異なっており、実現には大きな制約がありますが、その方向で新しい地方政府のありかたを模索することには、十分な価値がある、と確信しております。

市役所の職員が、書類づくりから開放され、街に飛び出して、皆さまの悩みや苦しみを解決する手助けをできるように。

現在の地方自治体は、膨大な国の委託業務をやらされいて、昔から「三割自治」と言われています。その上、上述の議会対策が重なると、いったいどれほどのエネルギーが市民のために振り向けうるのだろうか、とため息が出ます。私は、国から委託される仕事は、できるだけ簡素に処理する必要があると考えます。そして、自主的な活動ができる範囲を飛躍的に拡大したいと思うのです。そして、地方の独自の仕事は、極限まで簡素化する必要があります。たとえば、書類にたくさんの人が捺印する「稟議」という古色蒼然たる慣習がありますが、これは全廃したいと考えます。なぜなら、ある職員が書類を作成し、その人が作成したことが明確になっておれば、その時点の職制を調べれば、だれが上司であるかはたちどころにわかるのであり、他の人が捺印する必要など、どこにもないからです。仕事というものは、現場が最前線であり、管理者はそれを背後から支援し、市長はその管理者を支援する、という形で行うべきものです。そうしてはじめて組織はまともに作動するのです。職員は、できるだけ、役所の建物の中にいるべきではありません。街に出て、市民のくらしをつぶさに見て、感じ、いったい何が問題になっているのか、人々は何を感じているのかを理解し、その手助けをする仕事をしなければなりません。特に、こどもを守る、という仕事は、全職員の最大の業務であるべきだと考えています。

「なつかしい未来研究室」をつくり、こどもたちと共に未来を考えます

市役所の職員がまちに飛び出していくなら、そこからさまざまの情報が、市役所にもたらされるはずです。その情報を理解して、読み解き、意味を掴んで、つぎにやるべきことを考えるのが、市長の仕事の中核だ、と私は考えています。そこで東松山の歴史・文化・生態系・環境・経済・財政・法制などを総合的に研究する機関として、市長の主催する「なつかしい未来研究室」をつくります。ここに、学校にいくのをやめたこどもたちに参加していただいて、ともに未来を切り開くための研究活動を展開します。ここから、地域社会のために貢献する人材が排出されることが、なによりも重要なことではないか、と考えます。